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45ポンドの終末世界をてくてくゾンビウォーク。 『コリン LOVE OF THE DEAD』 - 1953ColdSummer

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45ポンドの終末世界をてくてくゾンビウォーク。 『コリン LOVE OF THE DEAD』


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コリン LOVE OF THE DEAD 
COLIN
2011/イギリス PG12 監督:マーク・プライス


 小学生の折、下校中に、眉毛を片方剃り落とし首を斜めに傾げ、お茶碗を持って突っ立っておる人を見たことがある。

 可笑しいもの、変なものには目が無い小坊のみぎりである。何か面白い人がいるなぁ、とマジマジとその人を眺めておったところ、一緒に下校していた同級生のゴリ君が、「ああいう人をじろじろ見ちゃいけないんだよ」とわたしの腕を引っ張るなどして、未練たらたら、渋々その場を立ち去ったのだが、成人し小坊のころに比ぶればやや思慮深くなった今思い返してみるに、あの日突っ立っておった人は、たぶん、ゾンビだったのであろうと思う。

 何を妄言を抜かすか、ゾンビとは体崩れ人間を食むものだ、貴様が見たのはただの変な人であろうが、と、仰られたい向きもあろうし、そんな気持ちも分かるが、まあ今しばしお待ち願いたい。何にでもかんにでも原理主義を持ちだして、言論を封殺せしめるのはよろしくない。
恐怖城/ホワイト・ゾンビ 』の時代から、ロメロ本流の『ゾンビ』を経て、散々に亜種亜流が作られてきたゾンビ映画ではあるが、まずは「ゾンビ」とは何か、という定義をしてみたい。
 とは言い条、ゾンビとは、(1)人間を襲う (2)死人である (3)噛まれるとゾンビになる くらいしか定義のしようが無い上に、極稀に人間を襲わないゾンビも居るし、死人でなく生きているゾンビも居るし(いわゆる「感染者」タイプですな)、ゾンビに噛まれるときはそれ即ち群れに喰い殺されるときがほとんどであって、喰い残しの死体にソンビの成り代があまり残っていない、なんてことはよく冗談交じりに言われるしで、じゃあいったいゾンビとは何なのだ、とゾンビのような顔をして怒りたくもなろうというものではあるが、ここでヴードゥーの秘教にその原点を求めたりなどすると場が白けること甚だしいのでそれはしないが、さて、ゾンビとは本当に何なのであろうか。

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 長々と論じると書くのも読むのも面倒臭いであろうからマキャベリズムに基いて簡潔に述べるが、ゾンビとは、つまるところ、リースマンがのたまう「孤独な群衆」の概念を具体化したものではなかろうか。
 群衆の中に埋もれた個、他人を指向する習性、はは、わたしも以前に講義で聞いたっきりのお話なのであるが、鼻くそほじりながら聞いていた毛唐の退屈な概念が、まさかこうしてワガの人生、しかもブログを更新するなんて因果な行ないの如きに役立つ日が来ようとは、はは、と笑っておるばかりでは毫もない、要するに、ゾンビとは秀逸な物語装置であって、個と多の区別、生と死の分別などを殊更に主張したいが場合の、視点の定義、俯瞰の妙味なのである。故に、眉毛を片方剃り落とし首を斜めに傾げ、お茶碗を持って突っ立っておるような人も、ある種のゾンビと言えるのだね。概念的、概念的に。

『コリン LOVE OF THE DEAD』は、とても視点的な映画である。

 それは何も、逆光や露光の加減をひとつも考えていない手ぶれカメラや、4:3のわけのわからん画面サイズや、ランタイム90分のうち半分は主人公コリンがてくてく歩いているだけという人をなめくさったような、くそたわけた視覚的なものを揶揄して言っているわけではないということは前提として共有していただきたい。
 本作に於ける「視点」とは、とどのつまり、ゾンビとなってしまった主人公がそれでも個を失わず、ゾンビ側から世界を視る、という、この一点に尽き申すのだね。

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 主人公コリンはゾンビに噛まれ、てめえもゾンビに成り果ててしまう。道すがら人間を襲いながらも、あるひとつの明確なる意思を持って終末世界を歩き続けるコリン。つう、お話で、まあ、何というか、話は無きに等しいというか、低予算(日本円にして約6000円程度)である余りにゾンビ映画の旧習を墨守しただけで力尽きたというか、ぶっちゃけ予告と邦題でネタバレしまくっていて、メインフックであるところの「LOVE OF THE DEAD」にたどり着くころには、観ている側が疲弊の極みであるとか、映画としての難点は多いのだが、そんな感情的なものを論点にするよりも、やはり、ゾンビ側の視点、多数の中での個を確立した哀感並びにペーソスについて語る方が前向きであるし、ゾンビ映画というジャンル自体が最早多数、飽和状態であるので、志が高かろうが低かろうがその映画の中の特徴をでっち上げてでも探さねば、映画感想ブログなぞやっておれんのである。

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 家族のひとりがもしも、もしもだよ、ゾンビになってしまったら? というシチュエーションをさらっと入れている辺り、しつこいがゾンビ側の視点というものを念頭に置いて撮られている映画であるなあ、志が高いなあ、でも実家で母に会わせたってゾンビは治らないと思うんだなぁ、ぼかぁ、とつくづく感心させられる。安っぽい新聞の見出しで表示される、ついに核爆弾が使われる、なんて演出もたぶん『バタリアン』辺りに目配せしたんだろうと思われるし、でも製作費45ポンドを謳う作品であるからして、逆にそこら辺の鉄板演出が限界だったんだろうなぁ、と感じた。
 何も映画に対して「自分に畏まって奉仕せよ」と言っているわけではない。やはり低予算+ゾンビという組み合わせは定石であるし、本作に限ってはそのお安いバジェットという売り文句込みでパッケージングされているものだ。そこにゾンビ側の視点やその人間関係を持ってくるというアイデアはまさに苦肉の策、機転の一撃とも言えるものだが、如何せん、文法的にはやや破綻を来しておる。

 唐突に、眉毛を片方剃り落とし首を斜めに傾げ、お茶碗を持って突っ立っておる人を見かけるような、そんな衝撃とはちょっと近からぬ作品でありました。


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