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『龍三と七人の子分たち』 - お爺ちゃんたちの平成残侠伝 - 1953ColdSummer

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『龍三と七人の子分たち』 - お爺ちゃんたちの平成残侠伝


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三と七人の子分たち
2015(2014)/日本/G 監督/北野武 音楽/鈴木慶一 出演/藤竜也/近藤正臣/中尾彬/品川徹/樋浦勉/伊藤幸純/吉澤健/小野寺昭/安田顕/矢島健一/下條アトム/勝村政信/萬田久子/北野武/他
金無し、先無し、怖いモノ無し!
俺たちに明日なんかいらない!!

ジジイが最高!!



 ひと、にんげんのつまらん一生に於いて最も忌避される呪いが「老い」である事は論を俟たないが、最も忌避しづらい呪いが「老い」である事も人類史が始まって以来万人の知るところである。

 老いさらばえる事の何がそんなに忌まれているのだろうか?

 歳を経れば経る程にでかい顔が出来、酸いも甘いも噛み分けた語り口で喋られるようになるなど、一見老いることにもそれなりにメリットはあるように思える。が、それらは相対的に老人のメリットとされている事であって、若者にも「老成」した人材は居るのである。そう考えた場合、老いの究極的なメリットでありイニシアティヴである人生経験の土壌を活かして何とやらという話になるのがこの世の常なのだが、ごく私見で言わせていただくとその土壌を構成する、人生経験そのものが希薄で、結局でかい顔も酸いも甘いも噛み分けた語り口も出来ない、ただ歳を重ねてしまった老人も多いという事実が、「老い」が忌避される重要な部分を占めているようにも感じる。

 だが、逆に考えてみよう。
 堅気には味わえない数奇な人生を歩んできた老人。そうした老人と何かを介して関わってしまった場合、それは非常に質の高いコンテンツを手に入れたのと同義ではあるまいか? 老人が自分のコントロール下に無いという部分も含めて、それは忌避の大壁に一穴を穿つ出来事なのではあるまいか? 
 況や、元極道だという老人のコンテンツ性をや。

 趣味といえば半裸でモンモンをさらけ出しながら木刀を振るのが日課になっている老人、龍三。息子には疎まれ、近所のガキには物珍しげに覗かれる70歳。居場所が徐々に消えていくこの元ヤクザの大親分が、ひょんな事から「兄弟」たちと再開する事になり、かつてのシマで跋扈するオレオレ詐欺に代表される現代の犯罪組織と揉める事に……というお話。

 土曜日の昼間に観に行ったという事もあり、予想される客層に多少の心配を禁じ得なかったというのもあったのだが、何のことはない、お爺ちゃんお婆ちゃんにカップルに学生と思わしき若人と、落語の寄席のごとき柔らかい客層で、本作のふんだんに盛り込まれたギャグにドッと、或いはクスクスと笑いが上がる様子は一体感があり、またほぼ満員だったという事実がスタートダッシュの幸先の良さであろう。

 ほで、べらんめえ口調の滑舌も悪く、しかも決して一般受けはしないであろうヤクザギャグを大衆化して笑いを取る今回の手練手管には舌を巻く。
 本作を観る前には、『アウトレイジ』の文脈を誇張したりデフォルメしたりしたような感じなのかな、と一方的な先入観を持っていたのだが、その実、『アウトレイジ』でもそれ以前のキタノブルーの文脈でもなく、やっている事がまるで野望の王国のデフォルメであった事は特筆しておきたいところだが、やくざ者が自滅に向かういつもの武の「自殺願望」も本作に流れているという事も書き添えておきたい。

 本作に関するインタビューで、北野武監督はこう言っている。
「スマホで見るような映画がジャンジャン出ているときに、『映像美』『カメラワーク』なんて言ってる場合じゃない」と。
 そう吐き捨てている割には要所々々でカメラをキメる、或いはギャグのテンポを損なわない見せ方をするのが武のお茶目なところだが、アートというよりも完全にエンターテイメントにふっ切れている本作に於いてのカメラワークや見せ方にも何重もの計算があったのであろう事は、実際に観てみれば容易に察する事が出来る。また、ギャグのために敢えて作ったシーンも無いと武監督は嘯くが、まったくその通りで「ギャグのためのギャグ」がほぼ存在せず全体的にスムーズに進むのも熟練のバックボーンを感じさせる。隙を見て笑いを取りに来る屁の音や台詞の掛け合いなどは後から編集で吹き替えたそうで、役者の藤竜也たちもそれを観て(聴いて)大いに笑っていたそうである。

 にも関わらず、本作を観終えた後に飛来する一抹の寂しさは何なのだろうか。

 それは決して「面白い映画が終わった後に来る虚無」と意味を同じくするものではない。やはり、「老い」に対する忌避から来るものなのだ。
 要するに過剰な老人たちが過剰な事を行なう映画なのだが、そんな過剰な力が自分にあるのかというと当然そんな事も無く、北野武という老人扇動者はきっちりと「現実」をカリカチュアライズして本作の節々に、或いは結末に盛り込んで来ている。忌避出来ない老化という呪いを。
 笑いというカーテンに隠された「老い」。本作で散々笑ってのち、自分は未だ「老い」が恐ろしい。


映画「龍三と七人の子分たち」オリジナルサウンドトラック映画「龍三と七人の子分たち」オリジナルサウンドトラック
鈴木 慶一

ARTPORT -Expanded Edition- Ciao! Mr.Kashibuchi THE MOONRIDERS LIVE at NIHON SEINENKAN 2014.12.17 グランドジャンプ 2015年 5/6 号 [雑誌] キネマ旬報 2015年5月上旬号 No.1687 Ciao! ムーンライダーズ・ブック (シンコー・ミュージックMOOK)

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