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競争社会をゼロサム・ゲームにしたのは誰? - 『ヒューマン・レース』 - 1953ColdSummer

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競争社会をゼロサム・ゲームにしたのは誰? - 『ヒューマン・レース』

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ューマン・レース
THE HUMAN RACE
2013/アメリカ/<未> 監督/ポール・ハフ 出演/ポール・マッカーシー=ボーイントン/エディ・マッギー/他
※ネタバレ有


 世の中にはいろいろな人が居ます。
 お年寄り、妊婦、身体の不自由な人、ネオナチ、無垢な子供たち……。

 さした人たちを、別け隔てなくぶち殺す旨のゼロサム・ゲームがこのたびの『ヒューマン・レース』でありますが、かかる非道な行ないをお天道さまが見逃すわけもなく、というか含んで言うが、見逃していないといえば、まあ、見逃していないっつうのは最後まで観れば分かるので、これからも日曜日は市場へ出かけ糸と麻を買ってくるがごとき質素な生活をテュリャテュリャと続けようと思いました。

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 ところで質素な生活にも飽きたのでこうして筆を執る次第なのだけれども、筆を執ったは良いが、達磨に目を入れたり、自分の全身に写経をするばかりで本稿がいっかな進まぬのは別段平氏の亡霊に祟られたとか本作の面白さが不自由だったとかさふいふ訳でもなく、面白さが不自由ならば不自由でそれに比例して舌は闊達になるのでむしろ面白さが不自由であってくれた方がなんぼかでもブログの肥やしになるものの、中途半端に――例えば片足の無い障害者が聾の障害者を殺すなど――オモツロイアイデアが練り込まれてあって、はな、薄々とぜってえそうだろそうに決まっていると予感直覚疑心に直感、こころのピナスが陰茎骨を隆起させているところにほおらそうだったじゃねえかと予想より1枚上のエンドを観て観くさってオルガズムにあへあへと咽ぶも、それらは社会、人生を包括する暗喩的なるもの、比喩表現であったのだ……てな教条的なナニカを汲んでしまうともう駄目、はな、何が駄目かと言うと、まず、本作の骨子、ある日突然、ある場所に居た人たちが変な建物の外周に気がついたら召喚されていました、そして変な声が「ルールに従い全員走れ。逃げようとすれば死ぬ。コース外の草に触れたら死ぬ。2周遅れたら死ぬ。さあ走れ」と随分と勝手な事を言っています、当然、助かる方法を模索する良心的な人も居ますがそれ以上に勝手に張り切って走り始める脳筋や人を殺す事にためらいの無い悪党も居ますので老いも若きも男も女も健常者も障害者も走らざるを得ませんから、まあ、頑張れ。というデスゲームのルールとそれに対するかんそうぶんを書かなければなりませぬし、で、死に方がほぼ『スキャナーズ』じゃねえかとか個性的なひとりひとりの人物造形であるとかそういう事だけを茶を呑み呑み書いておけばいいのだろうけれども、最後のアレを見るに前述のごときに教条的なナニカがわたくしのドタマを引っ叩いたので、かんそうぶん、のみならず、こうさつ、までをも書かなければならぬ義務感に襲われる。しかもそれが食傷気味な題目であると同時に触れておかないと阿呆と思われそうなもので、有体に言うともう面倒臭い。あっほらここまでで約1120文字で400字詰原稿用紙に換算すると3枚分ですよ。どれくらい面倒臭いかこの改行の少なさからでも分かるでしょう。

 以下、ネタバレを交えて。
 本作が『死のロングウォーク』を下敷きにした発想に基いて製作された映画であるという指摘は、「何でみんなで一塊になってりゃいいのにいちいち自分の部屋に帰って殺人鬼のえじきになるの?」という質問と同じく無粋といふもので、あちらが軍事国家による強制ならばこちらは文字通りの神権による殺人レースの開催、強制力に多少色をつけてみました、というところが本作の挟持であり落着するところなのだろう。
 レースのルールのひとつ、「草に触れたら死ぬ」つう一条に、「コース外に出たらばスナイパーか何かに射撃されるんじゃろか?」とうぶな事を思っていたわたくしの純情を返していただきたいものであるが、草むらに1歩踏み出した瞬間――それは最初の犠牲者――頭部にぴきぴきぴき、つて、線が走って、爆裂したその人間の手に成るものからは程遠い死に方を観て、本作が人工的に作為されたゲームでない事を類推するのはさして難しくない。況や、フォーカスされる人物ごとの回想、抱える障害などの少芝居を見せられては、それが一区画の社会から掬い取った人生のデフォルメであるという説もコジツケの域から脱し、いろいろな人が、いろいろな条件を抱える中、「競争」をさせられる。つう、げっぷが出そうな約束事をも視認してしまう。ほで、左様な社会の縮図を拵えたのは誰か? どこのどなたか? つと、それが国家であったり企業であったりしたら本作のエモーショナルな死に様/殺し方に対して言い訳が立たんのであって、神様、主催のゼロサム・ゲームであるという事が最後に明らかになる。そして、別のルートでは「天使」たちが「空に触れたら死。地の脈に触れたら死」というルールの元、また殺し合いを行なっていた事も。

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 神様のビジュアルは巨大なUFO兼命令センター(閲覧席?)という分かりやすいもので、ゲームに脱落した天使たちは羽根を萎えさせて串刺しにされている。それが『ゴッド・アーミー』からの画ヅラの拝借か否かはちょっと判断に困るのだけれども、最後に立ちはだかったエイリアンのような天使の姿を眺みるに、監督のポール・ハフという人はかなりジャンル映画のビジュアルの定番を把握しているようである……と思っていたら、『ヘルハウス』のジョン・ハフのご子息にあらせられるという情報も。

 斯くした隠喩的な人生競争(実際に殺し合っているのに隠喩も何も無いとは思うが)を神様が行なわせた理由は何か。そこを口頭で説明されたら理解の替わりに興味を差し出すというもので、一切の説明無しに物語を幕としたのは観客的にも予算的にも脚本の限界的にも優しいというものであろう。聾の恋人同士は殺し合い、人の迷惑も顧みず脳筋は勝手に走り回り、ネオナチコンビは悪巧みをして片っ端から他人を突き落とす。本作が人生の俯角として成立し得ているのはそうしたひと、にんげんのエゴイズムを剥き出しにしておるからで、その意味では本作を観た人間も神様と同じ位置に座しているとも言えるのであり、これが上に述べたように国家や企業の強権によるゲームであったならば座りが悪くて神の視点を持ち得ないわけなのですね。たかが映画を観ている人間が神様に対して理屈建てをできるわけがない(ワガと同じ人類が運営する団体であれば文句のつけようもあるが)、と。

 結句、このように、感想とも考察ともつかぬ内容の紹介に終始してしまうわけなのでありました。


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