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退屈な終末に 『ザ・エンド』 - 1953ColdSummer

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退屈な終末に 『ザ・エンド』


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・エンド 
FIN/THE END
2013/スペイン 監督/ホルヘ・トレグロッサ 出演/マリベル・ベルドゥ/ダニエル・グラゴ/他


 スケッチブックに、何やら病んだふうな絵をぱらぱら描いている人が出てくる冒頭に、うほっ、つて、阿弗利加の猩猩のごときに雄叫びこいて期待が高まってしまったのだけれども、そもそも、期待、っつう、あまり持ち合わせていない感情をそこで濫用したのが祟ったのか、それぞれに脛に傷持つ、じゃなかった、こころに傷持つ旧知たちが山のキャビンに集合、時には全裸になるなどして親交を深めるという、リゾート・サスペンスの定石を踏む展開までは、渋茶を呑み々々好奇心のテンションを維持できたのだが、なんか知らんが星が流れる、通信が一切できなくなる、自分たち以外の人間が消えたらしい、て極めて説明的と申しますか何の捻りも無いと申しますか、杓子定規な終末モノへととぼとぼ進んでいく様子を観るころには、期待、の替わりに渋茶が自分の脳内の映画を楽しもうとする部分を支配しており、渋い顔をして、腕立て伏せをしたり、腹筋をしたり、灼けた砂を手刀で突いたりしながらもう義務感だけで観終えたのだけれども、何ら慰安が得られることなかったので、たまには「低予算で抑えられる」つう理由以外で世界からひと、にんげんが消失する映画も観たいわね、と、きつく引いた紅いルージュを人差し指でなぞりながらひとりごちてしまった。

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 脚本に『永遠のこどもたち』のセルヒオ・G・サンチェスを招き、更には『パンズ・ラビリンス』の武闘派メイドことマリベル・ベルドゥを出演させるなど、ギレルモ・デル・トロ組の名将たちを本作『ザ・エンド』で率いるのは、恐らくこれが長編デビューとなるのであろう新鋭監督ホルヘ・トレグロッサ。
 既視感が拭い切れない四角四面な画作りに、ほぉぉぉらやっぱりこじつけかましたよ世界一のベストセラーに、てな初々しさに目をつむり、面白くない事にも目をつむれば面白い映画だと思うので、私のごときに文章の排泄行為に快楽を禁じ得ない各位に於かれましては、本作の退屈さに新たな視点を付与していただきたい所存に御座いまする。皆様方がどう読み解いたかを知りたいというのは割と切実な本音ズラ。あっ素が出てしまった。

 以下、ネタバレを交えて。

 本作にはたくさんのどうぶつが登場し、いちいち人を驚かせたり追わい回したりする一方、主人公たちはひとり、またひとりと消えて行き、最後に一組の男女が残る。空が綺麗だね。じゃあ、海に出ようか。つて、ちょっと意味が分からない理屈でどっかに行って幕となる。
 結局、ノアの方舟の隠喩でありますか、という事に落ち着いてしまうのは手がかりに欠けるからで、糸口となりそうな人物――冒頭で病的な画を描いていた人物、そもそものキャンプの主催者であるが、現場に現れない人物についても「奴は統合失調症の家系だった」などと極めて端的に台詞で説明されるだけであるので、その姿無き思惑に超越意思、神の采配を見てしまうのも、意味の伴わない描写は殆どが聖書の借用、と結論付けてしまうワタクシどもの引き出しの少なさに起因する暴論ではありますが、形式・体裁・ナリ・カッコに固執するあまり、意味の伴わなくなった描写を「あーはい伴天連耶蘇耶蘇」と思考停止して記憶のくらやみに追い遣ってしまう行為も映画ファンの権利のひとつという事を考慮しつつ、ここで歩を進めて、では、何故いまノアの方舟なのか、各種のつがい以外は消滅せねばならんのか、はは、あまり巫山戯とったらトングで鼻摘んでやろうかしらん、と梅干しほどの頭脳で考えてみると、本作のキャンプに集まった主人公たちがそれぞれに辛い過去を持っている、つう設定に紐付けてあるのかなぁ、でも辛い世界が消えてワガも消滅するってぇ事は痛み苦しみ妬み嫉みが存在理由だったという事なのかなぁ。はな、世界のリセット。あれ、何だか狙点が定められている映画のようにも思えてきて身体が火照ってきたのだけれども、決して世界と等価ではない主人公たちグループにカタストロフの鍵を与えるところに壟断めいたものも感じてしまい。

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 そんな地球規模の話はどうでもいいのだが、本作には妙に人の癇癖を刺激するシーンがあって、それは野生のわんわんからみんなでチャリ漕いで逃げるところ。ここが私にしては珍しく映画を観ていていらいらむしゃくしゃ切歯扼腕する事甚だしく、つうのも、仲間が片っ端から消えていく事に神経の限界が近付いてきている女性が、「1人にしないで! 私を置いて行かないで!」つて、遅れながら必死でチャリを転がしているのに、主人公は「大丈夫だ!」というような噛み合っていない事を言いながら自分だけふんふん猛スピードでチャリをぶっ飛ばす。ふと声が聞こえなくなる。振り返る。女性が消滅している。この烏滸が。自分でも何故ゆえにここまで腹が立ったのであろうやと不可解極まりないが、このシーンは本当に観ていて口角が嫌な方向に曲がってしまったのであった。


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