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或るネット表現者の最後、生くる道程八百屋に通じ - 1953ColdSummer

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或るネット表現者の最後、生くる道程八百屋に通じ


 栗本慎一郎という先生は「私が生きている内に全面核戦争に突入してほしい」つう事を公言しておられるそうであるが、はな、私も夢の世界のごときに酔い痴れるのも悪かないな、が然し乃公は酒に狂わぬ体質であるし、らったった、らったった、ふぃーぐるりったふぁーんふぇーい、つて、アルプスの少女の仮装をしてジョギングなどをするとこれ、不細工な者どもに不躾な視線でガン見された挙句、官憲に説法されるという不細工な事態を招いた挙句ワガの脳味噌が全面核戦争に突入、警官殺しで収容され、檻の中で一目置かれその立場に酔い痴れる事ができるのかも知らんけれども、なるべくなら僕はもっとカジュアルに酔いたいな。

 つ事で、ピンク色だかどどめ色だか七色だかは関知するところではないが、脳内物質を分泌させようと、しばらくぶりに掌編小説を書く事を再開すべくして、ひと、にんげんが共同幻想で規定していやがりくさるような常識っつーの良識っつーの? 零式防衛術は最終格闘技だ、モラルをぶち壊してやるわっ、ははは、笑ける。言うてな、乃公、3時間ほど笑っとったんじゃ。だけれども、笑い終えて天井に浮いた人の顔みたいな染みを数え数え、ネタはあるのだがアウトプットする力が、悶々としているのに出せない何かが、おかずはあるのにごはんは無いというような、まあ、表現者、空間にはしるしがあると指摘できなかったマルクス、SOSのメッセージを発する事がかなわなかった『アメリカン・クライム』のエレン・ペイジたむのごときに、何かを射出する力が低下しておる事に気付き、このままでは私はパゾリーニのように性愛に破滅するかヴィスコンティのように共産主義に破滅するかの二択を迫られる、と、慌てて台所にてけてけ走って行き米をしらけるなどして精神の均衡を保ったのだが、そこで私は、あっ、と声を上げた。

 冷蔵庫の中が空であった。詰まる惣菜を買い込む、拵える必要がある。はな、八百屋に行かざるを得ぬ。詰まる、八百屋というところは八百野菜と乾物があるから八百屋というのかどうかは米をしらけている最中なので調べるすべが無いのだけれども、ははは、八百屋に行けばネタとアウトプットに際する栄養素、取捨選択能力などがびんびんに鍛錬され、けれども野菜をあれこれ品質する猿のような真似はできない奥ゆかしき僕の事だから、大切なパッションも温まるに違いない。ウフ。とか下品な笑みを浮かべながら、ピンク色のママチャリを漕ぎ漕ぎ八百屋に向かった。

 斯くして八百屋『地獄の謝肉祭』に到着した私は、にんじん、玉ねぎ、辣韮などをじろじろ選別し、餓鬼連れの親子五月蝿えな、と舌打ちをしつつじろじろ選別を入念に行なっておると、じろじろ、つうオノマトペがだぶって聞こえる。振り向いた。店主がストローで紙パックを啜りながら私をじろじろ視ていた。呵ッ、となった私はその場で適当に野菜を手掴みにし、でも気になるのでちらと見遣るとちんげん菜だったのだけれども、それをばレジに叩きつけ、代金をこれ支払うとどこかアウトプット能力がヒーリングされた気がして、ほっほ、と笑いビニール袋にちんげん菜をぶち込もうとしたところ手が滑り、運の悪い事に餓鬼連れの餓鬼の方が、ぐしゃ、て、ちんげん菜を踏み潰した。

「めんご、わりーな、ふんじった」餓鬼が鼻水を垂らしながら言った。

 私は、あれ~足が滑る~と絶叫しながらテケテケテケテケと横ばいに餓鬼に突進し、懐の包丁でこれを処断すると、ダッシュでママチャリに乗り、涙を垂れ流しほうほう吠えつつ逃亡した。

 現在、私はとあるネットカフェで身をこごめています。私はここで最後の掌編小説を紡ぎます。
 天井は薄暗く、裸電球に季節外れな蚊がまとわっております。

 あなたが見上げた空は、どんな色ですか?

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