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真昼の亡霊 『愛の残像』 - 1953ColdSummer

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真昼の亡霊 『愛の残像』


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愛の残像 
LA FRONTIERE DE L'AUBE (FRONTIER OF THE DAWN)
2012/フランス 監督:フィリップ・ガレル 出演:ルイ・ガレル/ローラ・スメット/クレマンティーヌ・ポワダッツ/他 


 人妻と関係を持ったカメラマンが、人妻が心の病をこじらせて自裁を遂げた後、別の女を作ってしっぽり決め込むものの、はな、その妊娠を告げられると逡巡極まりない事になりつ、終いには先立った人妻の亡霊が見え始め……。
 つうお話が、モノクロフィルムに乗せ、上品かつでも狂気したようなバイオリンの調べと共に展開されてゆくのだけども、こうした物語のひとつのかたちを軍靴の下に踏みつけるような事はしたくないとは言い条、乃公、観終えた後、狐狸妖怪に誑かされたような顔をしておった事もまた事実で、この悲恋譚をこれから語るに如何な苦慮、かかる苦悶を以て挑むかを考えただけで、どかどかどかと優雅さに難のある動きで押し入れを開け、「ドラ◯も~ん! ド◯えも~ん!」と叫びたくなったのであるが、自分で自分の頭頂に手刀を決めるなどして辛うじて正気を保つ事に成功した私は、このベタと言えばベタ、気障と言えば気障、苛烈と言えば苛烈極まるこの物語を語る腹を決めたのである。

 斯様に掴みどころの難しい、100人居れば99通りの(残り1人は監督本人)解釈があれど内数人ほどが「人妻キャロルは仏陀のメタファである」とか真顔で言い始めたら楽しいだろうなぁと思わせる作品だが、まあ人妻キャロルを演じているローラ・スメットという女優が仏陀であるか否かは措くとして、そもそも仏陀は亡霊になって男に憑依したりしないでしょう、という意見も五月蝿いので話を進めるが、自分が本作に強く意識せざるを得なかったのは、距離感、つうもので、どんな映画にでも距離感はあってむしろゼロ距離の接写映画があったら教えていただきたいものであるが、本作の距離感は、カメラを隔てたカメラマンと被写体の距離や、テーブルを挟んで対話する時の微妙な接近、といった起承転結の「起」の部分から、ベタベタベタベタとスキンシップを繰り返し肉体関係に至る「承」を経て転に至り、彼岸と此岸の那由多の距離感を自問自答するようにして結び、となる。

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 人妻、というには当然旦那が居るのだけども、そこには縮尺しようのない距離感があって、しかも旦那はハリウッドのプロデューサーであるので家を空けている事が多く、となれば物理的にも心的にも距離はぐんぐん伸びゆくばかり。兵法と同じで補給線は伸ばしてはならない。で、側面から間男、カメラマンであるフランソワが人妻キャロルと一気に距離を縮めるのである。この間、尺にして約30分ほど。唐突と言えば唐突な展開にどこか無機質な、システマティックな予定調和を感じてしまった事も事実だが、起こってしまった事は仕方がない。

 交尾、じゃなかった、肉体と肉体を密着させている時間の長さに反して、これは不倫行為であると自覚しているキャロルはその愛の刹那を否定したがるように、自分が病気で髪が抜けても、歯が抜けても、頭が狂っても愛してくれる? とフランソワに問う。そんな不穏当な事をいちいち訊かれても返答に困るフランソワは「よせよ」と茶を濁すのだけども、性急に距離を詰めようとすると返って相手が離れて行ってしまう、という現象を「ワイパーの法則」と作中のモブに説明させているところが故意的でもあり、両方一気に距離を縮めるワイパーだってあるではないか、いや、それは友情の法則だ、と間髪入れずに重ねてくるところは男女観の表明でもあるように思え、「じゃあホモは?」と鼻水垂らしながら突っ込んだ自分の暗愚を嘆いたものである。

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 そして、キャロルは相応な距離感を得ずして、絶望の中瞑目する事となる。

 ところで、横死を遂げた女性の未練というものは、洋の東西を問わずどろどろどろとオノマトペが用いられるようで、はな、新しい恋人エヴに種付け、じゃなかった、新しい生命を宿したフランソワは、自分が父親になる事への戸惑いや、キャロルに対する罪悪感から、キャロルの悪霊をたびたび目にするようになるのだが、これがフランソワの主観で見れば怨霊そのものなのだけど、我々、第三視点から見れば、距離感という現世の縛りを超越した、自由闊達なキャロルの姿であると見て取れるのが面白い。その霊が放つ思わせぶりな台詞は恨み節とも読めるが、そう読まない自由なる余地もあって、要するに何が言いたいのかよく分からんが説得力がある台詞であって、兵児帯を締めて気合を入れればこれはフランソワの心の声の現れなのだ、と、霊の出現の全責任をフランソワになすりつける事もできるが、事実、これはフランソワが罪悪感から見た幻影であるとも受け取れ……なんつう事を思っていたら、最後の最後、まあ、はっきりとは言わんが、『エクソシスト』のワンシーンみたいな描写があって、何かすべてがぶち壊されたような気がしたよ。

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 恋愛、という括りからもう1歩進んだ実存的な関係、肉体的な関係を描いたかと思えば、最終的に話は見世物性、と言って悪ければ虚構的な構文へと落とし込まれる。間に挟まれるのは、1人の女性の精神的な錯綜。まことに本作を支配していたのは誰であったか。当然、キャロルであろうが、それを実況するのはフランソワの主観である。詰まる、語り部みたいなものなのであろうや? とも思うが、誰がどこでここで、みたいな絵を描くのも本作に相応しくない気がするし、愛という共依存状態を分析したとて結果は皮肉や皮相に類するものしか出ず、不毛でしかないと感じる。とは言い条、思わせぶりな演出をしておいて「考えるな、感じろ」というのも酷な話ではあるのでこうしてへらへら文字を起こしているのであるが、まあ、距離感には十分気をつけましょうという事で。


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