観ると死にます

 

『ドライブ・アングリー』 ハゲが殺しにやってくる! 宗教野郎を殺しにやってくる!

20120128[Sat]

[カテゴリ]映画

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ドライブ・アングリー 
DRIVE ANGRY 3D
2011/アメリカ R15+ 監督:パトリック・ルシエ 主演:ニコラス・ケイジ


 わたしは別に同性愛者ではないのだが、その抜け切らぬ稚気ゆえか、ちょっと興が乗ってくると、やたら他人の陰茎を握ろうとする悪い癖がある。
 わたしは別にホモではないのだが、そうして他人の陰茎を握ろうとすると、相手は握られまいと内股になる、ちょっとやめてよと手で叩く、素直に握られて頬を紅く染める、など、反応が面白くて、わたしは別にゲイではないのだが、ついつい調子に乗って他人の陰茎を握りしむるべく手を伸ばしてしまうのだね。
 だが、男児の急所なんて言い様もあるように、陰茎というものは男にとっても女にとっても有難きもの(だと前田慶次郎利益も言っていた)で、それを狙うということは、裏を返せばこれはもう、殴られても仕方がない。拒否反応を示して悶える相手を阿呆にしておちょくっていると、思わぬところで、思わぬ仕返しが来るものである。

 で、別に陰茎を握られたわけではないのだろうが、ニコラス・ケイジが、仕返しにやって来る映画『ドライブ・アングリー』を観た。
 陰茎を握られるどころか、娘を殺され孫を拉致された男のカルト教団に対する復讐劇だということで、とりあえず自分の陰茎を握りながら鑑賞した。これは劇場公開時には3Dであったのだが、2DのDVDで鑑賞している自分としては、ああ、ここが飛び出ていたのだろうなあ、などと考えつつ、陰茎を握る手にも気付けばグッと力が篭っていたのである。

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 ドンパチ、カー・アクション、爆炎、の3点セットがパッケージングされた映画であり、そこだけを見ると安易なハリウッド・アクションなのかと早合点してしまう人もあるだろうが、少しく待っていただきたい。確かに本作は、チャカをぶっ放すわ、車は縦に回転して吹っ飛ぶわ、人間花火は上がるわで、確かに既視感に溢れたものではある。だが、そんなことばかりをあげつらっているばかりでは人間は成長しないし、話も前に進まない。なので話を前に進めると、本作には、スプラッタ、と、オカルト、という2大要素が、話の根幹を成す部分から絡まっていることを強調しておきたい。

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 これはもう、陰茎を握ったら嫌がられたどころの話ではなく、冒頭から人間の手首はちぎれて吹っ飛ぶ、頭にマチェーテはぶっ刺さる、足は抉れる、ついでに顔面は破裂する、等々、小学生もきいきい言って喜びそうな描写が満載であり、きちがいに刃物、ではないが、ニコラス・ケイジに車、というわけで、そのカー・アクションひとつ取ってみても、人間を大量に轢き殺す、炎を纏いながら突進してくる、窓からチャカをぶっ放す、と、殺人に関する考えうる限りの車の用途、シヴォレーのシェビーは伊達じゃねえぜ、と言わんばかりの猛り方を見せておるのである。

 ここまで書いて今思い出したが、カルト教団の教祖、即ち敵組織の首魁ですな、が、ニコラス・ケイジの娘に陰茎を喰い千切られたという話なんかも盛り込まれてあって(残念ながらそのヴィジュアルは無いのだが)、サオ無し野郎、やーいサオ無し野郎、という悪口雑言、悪罵のたぐいも台詞として存在し、3D(劇場公開時)と仕事を選ばないニコラス・ケイジが合体を果たした結果、本作のスプラッタ、切株描写なんかは必然的な文脈として認められたのである。本稿でネタバレをすることは本意ではないので多くは書かないが、本作の主人公ミルトンことニコラス・ケイジの出自や、それを追ってくる追跡者の存在などが、スプラッタに表徴される「死」や、悪魔崇拝のカルト教団と相まって、その露悪的描写を是としているのである。

ゾンビランド』にチョイ役で出演しておったアンバー・ハードがヒロインとして登場するのだが、これは思わぬ収穫であった。ビッチ可愛い、とでも言うんですか、端正だけどキツめの顔立ちに、気の強い演技。彼女のおかげで、後半、オカルト展開に突っ込んでいく無茶苦茶さが少々緩和されているようでもあり、物語の潤滑油として翻弄されつつもアッチとコッチを上手く繋いでおるような印象。あ、何かで感じた印象だと思ったら『コンスタンティン』がそれに近いのであるな。まあ、この作品の名前を出した時点で本作の展開はお察しいただけるだろうとは思うが。

 ロー・アングルに構えたカメラに映るアメリカン・マッスル・カーや、グラインドハウス的なしっちゃかめっちゃかな世界観に抵抗無く、これ観た後にさっ蕎麦でも食べに行こうかと簡単に気持ちを切り替えられる人ならば観て損は無いと思われる。


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『奇面館の殺人』 「館」最終章への準備体操

20120126[Thu]

[カテゴリ]書籍

奇面館の殺人 (講談社ノベルス)

奇面館の殺人 
著作:綾辻行人 出版:講談社


十角館の殺人』を読んだときにはそれはそれは衝撃を受けたもので……などと書きだすと、わたしの綾辻遍歴、ミステリ観、知識の浅さ、弩阿呆っぷりを露呈することになり、また時間がいくらあっても足りないので特には触れずにおくが、まあ、『十角館の殺人』を読んだときにはそれはそれは衝撃を受けたものだったのだね。
 それから「館」シリーズと題して綾辻作品は次々に刊行され、その都度わたしは楽しみに買い、読み、ほたえ狂っていたものだが、ええとこうやって1から説明しようとするから長くなるのであって割愛だ割愛! 粛清に理由は無いっ! と、もう手短に書くが、「館」シリーズ集大成と称した『暗黒館の殺人』で大コケをした綾辻さん家の行人ちゃんが、原点回帰で起死回生を狙ったというか、もう嫌になってシンプルなものを書き上げたというか、そうした心の闇に容喙することは本意ではないので想像でしかないが、本格ミステリに改めて向き合ってみたのであろう「館」シリーズ最新作。そうしたスタンスは、京極夏彦の『塗仏の宴』から『陰摩羅鬼の瑕』への流れの中にも感じたのだが、やはりネームバリューが先行してしまった作家というものは、一種の自縄自縛に陥らずにはおれんのかと業の深さを感じる次第である。

 軽いネタバレになるが、綾辻が創作した探偵役、鹿谷門実が活躍するのは『黒猫館の殺人』以来、実時間にして18年ぶりであり、18年というと、純真無垢な新生児が、集団就職で花の大都会行きの汽車に揺られるまでの時間であり、それ即ち、取り返しのつかぬ莫大な時間である。
 かくいう乃公も、鹿谷門実というキャラは、小説家、で、あることと、「今日の1本」とのたまいつつ、紫煙を吹かすこと、くらいしか印象に残っておらず、そうした体たらくで綾辻ファンを名乗るとは何事じゃ、この餓鬼ゃあ、と思われる向きもあるかも知れないが、少しく待っていただきたい。人間、18年もの間には色々とあるのであり、情報化社会は進んでおるのであり、その間、色々と本格畑には花が咲き乱れていたのであり、鹿谷門実のキャラ付けを少々忘却の彼方へ追いやったとて、石もて追われる謂われはなかろうと思われる。

 で、ファンサービスかどうかは知らないが、本作では鹿谷門実は探偵としてちゃんと立ちまわるのだね。
 展開が少々ご都合に過ぎるとか、ワトソン役を担当するメイドさんが少々強引であろうとか、そうした指摘は綾辻ミステリで行なってはいけないのである。出来ることならば、もう耽美とホラーだけ書いて行きたいのであろう綾辻が、クローズド・サークルを舞台に探偵を動かした、という事実を以てのみして本作は語られるべきであろう、いや、他に見るべきところが無いとか、そういう意味ではなくて。
 本作は新本格としてはスタンダードなものだ(そりゃ「新本格」って本人が作った潮流なのだし……)。中村青司が手掛けた「館」ならではのギミックもちゃんとあるし、冗長過ぎて伏線が伏線たり得ていなかった『暗黒館の殺人』なんかと比較すると、起承転結のテンポがとても良い。
 猛吹雪により、陸の孤島と化した「館」の中で、フルフェイスの仮面を着用することを義務付けられ、館主が行なう「儀式」に参加することになる面々。
 惜しむらくは、連続殺人には発展せず、事件が単発で終わること、また、それにまつわる謎解きに終始することである。パズラーとして読めば、各々のピースが事件の真相に合致していくその様子は爽快であるしハタと膝を叩くべき部分もあるが、何にせよ、事件自体がミニマルであることは否定出来ない。闇の衣を剥がされたゾーマというか、意識して耽美を封印した綾辻がこんなにシンプルで良いはずがない、と、何度も壁に打ち付けた頭で考えたのだが、やはり、倒錯趣味を描くのに、偶発的要素に比重の多くを置いたその構成が、人物を記号化し書き割りに徹させることを許さず、かといって人間としての喜怒哀楽を描くにはページが足りず、という、中途半端なものにしてしまったのだろう。

「館」シリーズも、綾辻本人が公言しておった「全10作」に至るまで、残り1冊となった。泣いても笑っても、次が最終作である。
 それが何年後に出るのかは予想も出来ないが、茶殻のようなものよりも、暗黒館なんて無かったことにするが如き集大成を読みたいと思うのは人情であろう。しかし人情紙風船、才能が枯れ尽くし、茶殻のようなもので晩節を汚してきた作家を我々はあまりに多く観測し過ぎた。
 次の「館」シリーズ最終作で、やっと綾辻は「作品単位」から「総合」で語られる作家となる。願わくば、その瞬間を多くのミステリ読みと、そして新本格を牽引していく多くの作家と共有したいものである。


奇面館の殺人 (講談社ノベルス)奇面館の殺人 (講談社ノベルス)
綾辻 行人

びっくり館の殺人 (講談社文庫) キングを探せ (特別書き下ろし) 覇王の死 二階堂蘭子の帰還 (講談社ノベルス) 深泥丘奇談 (MF文庫ダ・ヴィンチ) 猫柳十一弦の後悔 不可能犯罪定数 (講談社ノベルス)

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『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』 人を笑わせるということは本当に難しい

20120124[Tue]

[カテゴリ]映画

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アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事! 
THE OTHER GUYS
2011/アメリカ G 監督:アダム・マッケイ 製作:ウィル・フェレル他


 小学生の時分、ジャージのズボンを尻に食い込むまで上げておって、陰で「食い込み」と仇名されておる教師が居った。それはもう、「食い込み」が通りすがるだけで面白く、「食い込み」が教室に来るたびに皆一様に笑いを堪え、とうとう、自制の出来なくなった同級生が、「食い込んでるよ! アッアッアッハハハ!」とほたえ騒いでしまい、「聖職者を笑うとは何事か!」と殴打、打擲、もう脳に後遺症が残るのではないのか、というくらいに「食い込み」にぶん殴られた事件があったのだが、その子は元々、一張羅の白いランニングに半ズボン、麦わら帽子で登校して来、誰かの給食費が紛失した折などは、率先して疑われるかの様な面白い子であったので、大して問題にはならなかった。むしろ問題を提起したいのは、これは、「笑われる」というケースであって、「笑わせる」という恣意的な目的に基いたものではないことである。

 上方落語などでも、最近は女性の噺家や、過剰なジェスチュアルを用いた演目が人気を博しておると聞く。が、裏を返せば、それは古典や常道では「笑わせる」ことが難しくなってきたということであり、『目黒のさんま』や『厩火事』ではもう、くすりともせぬ世代が台頭してきたということだ。

 兎角、人を「笑わせる」ということは難しい。

 小学生の時分の話が続いて恐縮だが、小学生の時分、これはまあよくある小児病的な勘違いで、自分のことをギャグの達人か列聖か何かと勘違いしておるO君という同級生が居って、自分ちの自家用車はロールス・ロイスであると言い張るのである。ほほ、莫迦が見栄張りやがって、ほほ、じゃあ一丁、あたしらに見せてみやがれよぅ、と、クラスメイト一同O君の家に押しかけたのだが、彼は、ボロいママチャリをキコキコとこちらに押し持って来ると、「どうや?」と言わんばかりの顔をしたのである。そこには油性マジックで「ロールスロイス」と書いてあり、ちっとも笑えないというか、笑えないを通り越して殺意が湧いてきたというか、その殺意がかたちになる前に、気が短いことで有名な別のクラスメイトが、O君の脇腹にミドルキックを叩き込み、我らの思いを代弁してくれたのだが、兎角、本当に人を「笑わせる」ということは難しい。

『アザー・ガイズ 俺たち踊るハイパー刑事!』。
 俺たちシリーズ……というよりも、ウィル・フェレル主演の新作であると言った方が通りが良いと思われる。列挙するのは面倒臭いのでハイパーリンクで済ませておくが、俺たちシリーズというのはたくさんあって、当然、人によっては当たり外れもある。だが、個人的にはウィル・フェレル作品は手堅いというか堅実というか、両方同じ意味で済まないが、ある水準以上の笑いを提供してくれるという印象があって、劇場公開時に見逃していた本作をやっと観ることが出来たのだが……やはり、『俺たちフィギュアスケーター』を超える笑いは生まれなかったな、というのが正直な感想。

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 あざーがいず、その他の人々、という題名が示すように、日陰者……と言っては語弊があるが、まあ、目立たない、事務方のお巡りさん、ですか。を、主役に据えたお話で、もちろん陰があれば陽もあり、ニューヨーク市警のスターであったサミュエル・L・ジャクソンとドウェイン・ジョンソンが、街をぶっ壊したり犯人を追い詰めたり街をぶっ壊したりやっぱり街をぶっ壊したりした挙句、阿呆みたいな理由でおくたばりになってから、事務方のお巡りさんのコンビにお鉢が回ってくる、というお話。

 コメディ映画というのはだいたいそうだが、本作にもちょっとメタ的なニュアンスがあって、先に述べたサミュエル・L・ジャクソンとドウェイン・ジョンソンの死因であるとか、敵は派手々々な爆破と硝煙のテロリストではなく、比較的地味な経済ギャングであるとか、刑事モノのテンプレートを意識しておちょくったようなコメディとなっておるのだね。
ダイ・ハード』を観て、ねーよ、とか、現実はこれこれこうだろ、とか、そういうツッコミをちょっと意識してやってみました、とでも形容するといいのかな。じゃあ、画ヅラも地味なのか、というと全然そんなことはなく、黙っておるだけで面白いウィル・フェレルの顔、愛車のプリウス(!)ごと縛り上げられて貨物列車で輸送される間抜けな画、バディ・ムービーという特性を生かしたディス・コミュニケーションによるギャップが生み出す可笑しさ……。これらの地肩の強力さがありながら、何故か笑いが、がはは、ではなく、くすり、に収まってしまっておるのだね。

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 思うに、それはダイナミズム(爆破とか大仰な動作とか)とミニマリズム(地道に靴をすり減らす様子とか会話劇とか)の文脈の違いであって、そこには、製作側と観客側の断絶がある。
 本作は、エンド・クレジットで、ウォール街ならびアメリカ社会が抱える経済問題の色々をグラフやポップな画を用いて見せるのだが、そこでゲエッ、とか、グエエッ、とか、そういう蛙の断末魔みたいな驚きを発しているようでは、まずはマイケル・ムーアの映画から出直せ、ってなもんで、そういう社会を知りつつ、見て見ぬふり、或いは黙って耐えておる人間……まあアメリカ国民の低所得層ですな。観客として想定されておったのは、彼らの如き人間であったのだろうと思われる。わたしなどは国民皆保険制度があって、銀行で口座を作った記念に銃をもらえたりしない日本国の民であるので、やはり、コメディという文脈であろうとも、かの国の民が求む笑いとは無意識化に食い違うものがあると思うのだね。ここはもう、社会や文化の違いとして「ああいう笑いもあるのだな」と受け止めるしかない。『俺たちフィギュアスケーター』が面白かったのは、ダイナミズムの文脈つまりほとんど頭を使わない社会的なバックボーンを必要としない「笑い」であったからだ。

 ついつい知恵熱が出そうなことを書いてしまったが、それでも、コメディとしては面白いとは思う。ただもっさりしている上に、会話の妙味で笑わせようとする演出が多いので、吹替で観ないと面白さが伝わりにくいなどの欠点はあるが、会話で言い負かされたマーク・ウォールバーグが、ウィル・フェレルにいきなりコーヒーをぶっかけたりとか、そうした「間」なんかはじゅうぶんに面白い。実はカーチェイスなんかも派手だったりするしね。


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『女子攻兵』 巨大女子高生型ロボットの未知数

20120121[Sat]

[カテゴリ]漫画

女子攻兵 1 (BUNCH COMICS)

女子攻兵 (1) 
著作:松本次郎 出版:新潮社


 人間の本能的な欲求には、巨大化欲求、なんてものも含まれると思われるのだね。
 人間、食っちゃ寝、食っちゃ寝、食べて寝ているばかりすると身体が肥大していくものだし、酒精を浴びるように呑むと、心は広く気が大きくなる人も居るのだし、小学生なんかは、川原や公園で拾ったエロ本を読み、身体のとある一部分を巨大化させたりする。
 そして、巨大化するという欲求を満たしたる後、人はどういう境地に至るのかというと、うぉら、とか、おっほ、とか叫ぶと、そこら辺の物をぶち壊して回りたくなるのである。
 何もそんな、容易く破壊衝動に堕してしまう非理性的な人間ばかりでもあるまい、と言いたい気持ちは分かる。よく分かる。だが、少しく待っていただきたい。巨大化するという事象/概念は、必ずと言っていい程、破壊行為とセットとなっておるものだ。

 そんな巨大化したものの破壊行為に新たな1ページが加わった。
フリージア』の松本次郎が描く新作、『女子攻兵』だ。

 次元世紀2011年の新東京都市では、異次元空間に新天地を求めて移住した異次元軍と、地球連合軍との間に異次元戦争が勃発しており、どんどん戦線は拡大され、戦争は長期化の様相を呈していた。そして、そこに地球連合軍が投入したのは、従来兵器全ての攻撃を無効にする女子高生型巨大ロボット、『女子攻兵』であった。

 とりあえず、女子高生を巨大化させてみました、どやろか? といったワンアイデアに着想を得たのであろう本作は、建築物、物品、人体、すべて差別無く、徹底的に破壊行為を描く。更には、そこに哲学、美学のたぐいを織り込んでおる。
 陳腐な形容をすれば、巨大女子高生版エヴァンゲリオンとでも言うのが相応しくもあろうし、また、その画ヅラの小汚さとカオスっぷりは、『ドロヘドロ』を彷彿とさせる。

 兎角、説明に困るのだ。エヴァだのドロヘだのと言ったが、こうして他作品の名前を出して比較しつつ紹介しておるのは、わたしの苦肉の策だと思っていただきたい。まだ1巻しか刊行されておらず、世界、或いは世界観が謎に包まれておるのと、不謹慎、狂気、それらを総括する滑稽さを、反論の余地なくビシッと紹介できる言葉を、わたしは持ち合わせておらぬのである。

 巨大女子高生たちは、ケータイ(通信機?)のメールを見て一喜一憂し、精神・肉体汚染を恐れ、かと思えば巨大電圧銃をぶっ放して敵を一掃しようとする。現状での敵は、女体がいくつも合体したかのようなグロテスクなデザインの異次元人であり、それらも当然巨大であるからして、建築物を壊すわ人間を喰らうわと割とやりたい放題をやっておる。

 ええと、こういうのを御宅の人たちは、「ギャップ萌え」とか言うのであろうか。

 まあ女子高生型ロボットが異次元人と戦う漫画にギャップ萌えもヘッタクレも無かろうが、中々どうして、記号化もここまで来たかあ、という感慨を覚えたことも事実である。
「女子高生」「ケータイ電話」「ミニスカート(パンチラ)(パンモロもあるよ!)」などといった記号に、ハイエナ部隊、更迭された主人公、頽廃的な未来都市、といった記号が掛け合わされておる。その昔『OH!MYコンブ』という漫画があって、お菓子とお菓子を掛けあわせ調理するという内容で糞餓鬼どもに人気を博しておったものだが、そういった、何が出てくるか分からないびっくり箱感覚とでも言うべきものが本作『女子攻兵』にはある。記号も強調し過ぎるとそれが主体性を持ってしまうものなので、この巨大女子高生型ロボット、というワンアイデアがどこまで突っ走ることができるのか、期待して続刊を待とうと思う。


女子攻兵 1 (BUNCH COMICS)女子攻兵 1 (BUNCH COMICS)
松本 次郎

地獄のアリス 1 (愛蔵版コミックス) 地獄のアリス 2 (愛蔵版コミックス) 血潜り林檎と金魚鉢男 1 (電撃ジャパンコミックス ア 1-1) べっちんとまんだら (Fx COMICS) 革命家の午後 (Fx COMICS)

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『ヒミズ』 闇の中を這いずっているすべての若者へ

20120119[Thu]

[カテゴリ]映画
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ヒミズ
2012/日本 PG12 監督:園子温 原作:古谷実 『ヒミズ』


 新訳Zガンダムのラスト(『星の鼓動は愛』)を観たときには、ああ、これでやっとわたしはZガンダムの呪縛から解放されたのだ、僥倖、万感の思いが胸に飛来せしと1人でほたえていたものだが、2012年新春初の映画である『ヒミズ』を観て、またわたしは、劇場で1人ほたえる羽目になり、嗚咽、痙攣、精神崩壊などを併発し、「あぱぱぱぱ」となっているところを病院に搬送されたのだが、この『ヒミズ』の感激、情動などをブログを通じて世界に広めたいがため、病院から脱走してきた。半ズボンで、薄笑いを浮かべながら。

 原作『ヒミズ』には並々ならぬ思い入れがあって、それは例えば、若いが故に胸中に溜る澱の如きものであるとか、他人から見れば意味不明であろう価値観と概念のせめぎ合いであるとか、地球を逆回転させて時間を戻したときにはどうしようかと思ったことであるとか、ええと『ヒミズ』にそんなシーンは無いのだが、兎角、本当に胸を抉られるような、脳髄の暗闇をさらけ出されるような、そんな読後感にのたうち回って、嗚咽、痙攣、精神崩壊などを併発し、でもどこか覚めているメタ的な自分も同時に存在し、「あぱぱぱぱ」となっている自分を高みから見下ろしていたりもしたのだね。親指立てて「アウトッ!」って言いながら。

 前年、『冷たい熱帯魚』(自分の感想はこちら)に『恋の罪』(自分の感想はこちら)と立て続けにエネルギッシュな問題作を発表し、映画ファンとフェミニストの話題を独り占めにした園子温監督が、新解釈でリ・イマジネーションを施した映画版『ヒミズ』。もちろん、映像化されるのも初であるし、被災地でロケを行なったのも恐らく初めて。3.11の東日本大震災を受けて、大幅に脚本をリライトしたという本作であるが、そのラストシーンを観終えた後、いまだにその衝撃を引きずっておる。

 これは自分の映画なんだよ。
 自分自身の映画なんだよ。
 主人公の住田くんは自分なんだよ。

 染谷将太が演じる住田祐一、二階堂ふみが演じる茶沢景子、彼そして彼女はとてもエモーショナルで、真剣で、実存的だ。原作付きであり、そして震災ネタを盛り込んだことにより、園子温特有の「皮肉」のほとんどが取り払われており、直情的な青少年の暴走と、衝動的な行為、感情の爆発が、これまでの作品以上に強調される。

「がんばれ!」なんて台詞には普段、唾棄しているのだが、バックボーンを背負ったその台詞には、痛烈な響きと、あらゆる断絶を許さない力強さがある。あの2001年の9.11後から、世界貿易センタービルを画面に映すだけですべてを納得させるという強引な手法が横行した。それは責められるべきことではないし、早々に忘れていいことではない。そして、本作『ヒミズ』では、冒頭、そして最後に大地震の被災地が映される。間もなく1年が経とうとしておるが、一向に傷が瘉えぬあの地が。それはたびたび作中にもカットインされ、主人公住田が住む貸しボート屋の前の河に、震災の影響で流れてきた小屋が存在する。また、付近に住むホームレスたちにも「震災で家も職も失った」という設定が付与されており、原作のホームレスとはガラっと変わって住田の善き理解者となっておる。
 大震災は人物や場所や行動理由すべてのバックボーンとなっており、作中の「がんばれ!」なんて台詞も、そのバックボーンがあるが故に、主題やメッセージを背負った、重厚な台詞として胸に響くのだ。

 ヴィヨンの詩が暗唱され、安っぽい電球や蝋燭が点灯し、家庭の不和を描くという園子温印の刻印が刻み付けられているのに、それを根拠として言葉を尽くすことが出来ない。本作を語る言葉はそれを費やせば費やすほど嘘っぽくなり、本来の意味が見失われてしまう。

 普通であろうとする人間が、環境のせいで半ば強引に普通の道を踏み外されてしまう。ただ普通で居たいだけなのに、普通ではないものが足を引っ張る。

 それはとてもよく分かるし、自分が『ヒミズ』という作品に最も感情移入出来た部分だ。

 その普通ではないもののイコンとして、原作に幾度も出現した一つ目の怪物は映画版では出てこない。そうした象徴的なものに住田の感情は委託されず、泥や絵の具に塗れ、それを河で洗い落とし、といった一連の行動で、若い、混乱した、暗黒に足を踏み入れかけた魂は演出される。原作通りの台詞やシーンもテンポ良く使われ、それが一層住田という少年を苛む環境描写となっておる。

 そして最後、住田少年はひとつの選択をする。

 これが原作と映画で決定的に違い、また、映画の力として強烈に作用しわたしの涙腺を決壊させたのだが、たまにはいいじゃないか。園子温監督が若者と日本の未来へエールを送っても。日常を失った者へ励ましを行なっても。『ヒミズ』という作品を、そのために用いても。


新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス)新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス)
古谷 実

ヒミズ 1 (ヤンマガKC) シガテラ(6)<完> (ヤンマガKC (1361)) 新装版 ヒミズ 下 (KCデラックス) シガテラ(1) (ヤンマガKC (1193)) 未知との遭遇: 無限のセカイと有限のワタシ

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新装版 ヒミズ 下 (KCデラックス)新装版 ヒミズ 下 (KCデラックス)
古谷 実

シガテラ(6)<完> (ヤンマガKC (1361)) 新装版 ヒミズ 上 (KCデラックス) シガテラ(1) (ヤンマガKC (1193)) シガテラ(3) (ヤンマガKC (1255)) シガテラ(5) (ヤンマガKC (1334))

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シュヴァンクマイエルが築き上げた夢の理想宮 『サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生-』

20120117[Tue]

[カテゴリ]映画
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サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生-
SURVIVING LIFE (PREZIT SVUJ ZIVOT)
2011/チェコ R18+ 監督・脚本:ヤン・シュヴァンクマイエル


 夢は五臓の疲れ、なんてことを言った人があるが、確かに、夢を観た日の朝はドッと疲れておる。
 わたしなぞは、ストレスが高じておるのか眠りの質が悪いのか、ここ最近の夢見が非常に悪く、例えば、角力の人たちと一緒にちゃんこをつついておったら、中に人間の毛髪としか思えぬものがもっさりと入っておったりとか、何故か天狗に誘拐されて玄界灘の辺りで紐無しバンジージャンプをさせられただとか、給料日前なので財布の中身も身も心も寒くして、ちゃっぷいちゃっぷい言いながら家の裏に生えておったキノコを醤油で食しておったら、突如夢幻の境地に至りピンク色の小人たちが周囲で踊り始めたりだとか、ええとこうした記事はネタをネタとして理解できる人間を想定して書いておるのだが、兎角、悪夢ばかりで、良い夢、吉夢、といったものをさっぱり観ないのである。

 みんな大好きヤン・シュヴァンクマイエルの5年ぶりの最新作、『サヴァイヴィング ライフ -夢は第二の人生-』は、夢、を題材に採った映画で、先に述べた通りロクな夢を観ない自分であるからして、身構えてライララーイライライライと左右ジャブを繰り出しながら観に行ったのだが、左右ジャブを繰り出しながら入館するのはやめてくださいと警備員に言われ、しょうがないので眠気覚ましにガムをクチャクチャ噛んで、それをゴクリと飲み込んで、鑑賞した。

 まあ、簡潔に言ってしまうと、本作はシュヴァンクマイエルの理想宮なのだね。シュヴァンクマイエルとシュヴァルをかけているわけではないが、シュヴァルが石を積み続け理想宮を構築したのに対し、シュヴァンクマイエルは「夢」という、ある意味に於いて自由自在な建材を用いて理想宮、ひとつの映画を作成した。
 冒頭でシュヴァンクマイエル自らが言う。低予算で低品質なのでそこら辺は了承してくれ給へよと。このカットアウトアニメひとつ取ってみても、映画作りのベクトルが自己満足方面に流れて行っておることが判る。が、それはナルシズムとは程遠く、やはり作品性に根差したもので、夢の中で見かけたイイ女を追いかけるために夢分析を続けた結果、ついに自己意思で夢の中に入れるようになった、という大筋からしてちゃんとエンターテイメントの体を成しておる。それは江戸川乱歩だって筒井康隆だって通ったことがある立派なジャンルだ。そこにいつものアレ(爆ぜた果実だとか動物人間だとか)のヴィジュアル・イメージで肉付けしていった結果、シュヴァンクマイエルの理想宮がデデンと出現したのである。

 だいたい、「夢」というものには、それを目指したり、想ったり、叶えようとしたりと、チャレンジブルなイメージを抱きがちなものだ。その点に於いて、映画作品にするという一応の完成をみた本作は、「夢」の最終型、究極型と断じても大仰ではあるまい。

 で、「夢」が完成してしまうとどうなのかというお話になるが、これがえらくつまらないのである。

 だが、少しく待っていただきたい。この「つまらない」は作品自体にかかっておるのではなく、「夢」が叶った折の虚脱、虚無、それらを指して言っておるのだ。
 方法論としては面白くとも、結果論としてはつまらなくなるのがこの「夢」という題材の厄介なところであって、「夢」の中に入ってからは、どうせ夢の中なんだから何でもアリなんだろ、はは、と冷笑的な思いを抱いてしまったことも事実。更には間の悪いというか食い合わせの悪いというか、元々シュヴァンクマイエルの映像作品は、その悪夢的なシュール・レアリズムで有名なので、えっ元々悪夢的なのに更に夢の中に入っちゃってどうするの、あまり変わらないじゃん! と、サプライズに欠ける出来になってしまったのは、まさしく「夢」を作品として完成させてしまったが故の陥穽なのであろう。これは「完成」と「陥穽」をかけたんですけどね。

 ただ、この切り貼りアニメが目に楽しいのは、やはり年老いてもシュヴァンクマイエルの力量の成せる技といったところ。股間に巨大な張形を装着したぬいぐるみが転げて死んだり、口元のドアップだけ急に実写を用いたりするセンスはシークエンス単位で本当に目に楽しい。しつこいが、本当に最近ロクな夢を観ない自分としては、こうしたサイケな空間に身を委ねることは幻覚キノコを食うより安上がりだし健全だし、何よりもロクでもない現世を2時間ほどとは言え忘れさせてくれる。「夢」を観るというのは何も、せんべい布団に包まるばかりが作法ではないのである。


シュヴァンクマイエルの世界シュヴァンクマイエルの世界
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悪人は殺していいの? いいに決まってるよ! 俺がそう決めた! 『スーパー!』

20120115[Sun]

[カテゴリ]映画

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スーパー!
SUPER
2011/アメリカ R15+ 監督:ジェームズ・ガン


 映画館で映画を鑑賞するに際しては、財布をスられたとかでない限り必ずパンフレット、サブカルオシャレ野郎風に言うとプレスを買うようにしておるのだが、シネコン、特にサービス・デイのときなぞは、売り場にちょっとした行列が出来ておったりして、これが中々に居心地が悪い。
 イライライラ。列が全然前に進まないなぁ、イライライラ。と、この六文字のオノマトペだけで、わたしがどんな気持ちで列に並んでいるか察していただけようというものだが、その、列が、全然、前に、進まぬ、理由として、やはり最も大きいのは、レジでのやり取りが遅い、トロい、鈍臭い、これに尽きると思われる。
 レジの前まで来てからどの映画のパンフレットを買うか考え出す者、不器用な手付きでこれまた不器用に小銭をひとつひとつ取り出し始める者、後ろの行列を考慮することをせず、売り子と談笑を始める者……。

 ああ、殺人許可証ってどこに行けばもらえるのであろうか。

 この季節は熱燗と関東炊きだけが楽しみ、といった趣の老人が、レジで「パァンフレッッットをくだしゃんせぇ〜」などと菩薩のような顔をして言う。どのパァンフレッッットなのかが分からない売り子が「どのパァンフレッッットですか?」と問う。老人は「パァンフレッッットに決まっておるじゃろがぁ〜!」と阿修羅のような顔をしてほたえる。

 そんなやり取りを眼前にし、散々待たされた挙句、疲れ果て、自白剤投与直後のような声でわたしは「……◯◯のパンフレットください……」と告げ、金銭と引き換えにこれを手に入れる。
 映画を観る以前の、パンフレット購入に関してだけでも人間はこれだけの不条理に晒される。不条理に晒されると人間はどうなるか。『フォーリング・ダウン』なんかを観ても明らかであるように、破壊衝動に突き動かされて取り返しのつかぬ暴力に身を委ねてしまうのである。

 元シャブ中だった妻(不条理)を、シャブのディーラー(不条理)に、寝盗られ(不条理)てしまった男の飽くなき、でも市井視点のチンケな暴走。警察も、人倫も、何にもアテにならないのならば自分でやるしかない。何故なら自分はアメコミアニメ『ホーリー・アベンジャー』を観て神の啓示を受けたのだから! あっ神様がアテになっているじゃん! はは、じゃ、一丁、神様にあやかって、街のダニどもを誅戮いたしまするか!
 と、くたびれたおっさんが赤い全身タイツを身にまとう映画が本作、『スーパー!』である。

 ケヴィン・ベーコンにレイン・ウィルソンが立ち向かう構図になっておるのだね。と、まあ、そこは別に暗喩とか意図的なものとかを感じはしないのだが、他にリヴ・タイラーやエレン・ペイジなど、兎角キャストが、何と言うか、映画館で必ずパンフレットを買う人間的には豪華なのである。監督兼脚本は『スリザー』のジェームズ・ガン。なので、人体破壊描写にも気迫、烈帛の如きものが炸裂しており、最低限でレンチで人間をボコ殴りにする、最高限で人間の頭が半分吹っ飛ぶ、などの、サービス描写が満載で、ぼくはえらく感動したな。五十五年体制が崩壊し、米国にテーペーペーを迫られ、末法の世相を呈すこの世界で、感動できるということは素晴らしいことだよ。

 で、世間一般で言うところの感動に唾吐いて成り立っているような本作なのだが、これは自警と私憤、日常と非日常、主観と客観、等々の二軸、その行間を読め、というメッセージが込められておるように感じたのだね。とは言い条、それは決してわたしが神様から毒電波を受けたのではなく、作中の神様から毒電波を受けた人つまり主人公クリムゾン・ボルト自身を媒体に、「コマとコマの間を読め」と言わしめておる。描かれていないシーンにだって(だからこそ)意味はある、と。
 ヴィジランテ・ヒーローものとしては『キック・アス』(自分の感想はこちら)が記憶に新しいし事実これと比較されることも多かろうとは思うが、実は『キック・アス』が非常に具象的であるのに比べ、こちらは抽象的な趣が強いのだね。

 思い込み、私憤、宗教きちがいの厳父に躾けられたトラウマ、なんて、にゅるにゅるっとした、でもぐっちょりした、抽象的な感覚を原動力に暴力を振るい続けるクリムゾン・ボルト。その抽象にブレーキをかける役割が、サイドキックつまり相棒のリビーである。エレン・ペイジ扮するこの女性はコミック屋の店員でありながら、クリムゾン・ボルトの正体を知り、自らも変身したい戦いたい相棒にしてお願いお願いと押しかけてきて、結局クリムゾン・ボルトの相棒ボルティとして、その、何というか、人間を殴り殺そうとしたり、鉄の爪で切り刻んだり、上半身ブラジャー1枚のまま車で轢いたりと、狂態の限りを尽くす。その様がもう人間としての理性のタガが吹っ飛んでおり、彼女の殺人行為を見たクリムゾン・ボルトは自省の境地に至ってしまう。具象的な純粋殺人行為が、抽象的なクリムゾン・ボルトのモヤモヤを押し留めたのだ。こうした点に本作の方途、考え様などの面白味がある。

 しかし、これは去年観ておったならば間違いなくベスト10入りするほどの傑作であった。

 手書き風のアニメや擬音が何度も挿入される。が、これはクリムゾン・ボルトことフランクの「ノリ」なのである。ノリだけでレンチで撲殺されるのではかなわないだろうとも思うが、ノリノリになっている本人にとって世界はそう見えているのだから仕方が無い。徳の高い僧侶などでもない限り、恍惚の人を諭すのは難しいのだ。
「シャラップ・クライム!」その一言で、自分と自分の行為、存在を肯定しようとする。客観的に観ればそれはとてもかわいそうで、惨めったらしいものだ。だが、叫んでいる本人にとってそれは蜘蛛の糸なのであり、ひとつの魔法の言葉なのだ。

 変身願望も、自警の名を借りた暴力行為も、「シャラップ・クライム!」のキメ台詞も、すべてが惨めったらしい現実からの逃避である……のは間違いない。間違いないのだが、クリムゾン・ボルトがフランクへと戻り、最後に帰った場所を鑑みるに、世知辛さ以外にも世界には抽象的な何かがある。コマとコマの間がある。そう思えて仕方がないのだ。


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